土崎神明社例祭 土崎港曳山まつり

旧町名の由来

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旧町名の由来

 

曳山行事に参加する町内会の名称は、主に旧町名が用いられています。 土崎地区の旧町名の由来について紹介します。

 

相染町(そうぜんちょう)

 

江戸時代以前には、穀丁村に属し、明治22年に旧土崎港町と合併した。馬頭観音を祀った宗善社が町名の由来と伝えられる。

 

 

 

新町(しんまち)

 

延宝3年(1675)以来、人口の増加に伴って三度にわたり新しく町割りされたことが町名の由来である。生魚売買が盛んであった。

 

 

 

菻町(がつきまち)

 

慶長年間(1596〜1615)に開かれた町であると伝えられる。菻とは、池や沼に繁茂するマコモのことで、湿地を開拓して生まれた町であると考えられる。

 

 

 

肴町(さかなまち)

 

文政5年(1822)以前は、萱村町と呼ばれたいたが、藩より魚の専売権を与えられたことから肴町と改称した。

 

 

 

壱騎町(いっきまち)

 

町が開かれたはっきりとした年代は明らかではないが、町名は、安東氏の家臣で、「一騎当千」の武者が住んでいたと伝えられることに由来する。

 

 

 

小鴨町(おがもまち)

 

萱、葦の繁茂する湿地で、鴨の多い場所であったことを町名の由来とする。江戸時代に駅場役所、明治22年には土崎港町役場が置かれていた。

 

 

 

加賀町(かがまち)

 

加賀(今の石川県南部)からの移住者により町が開かれたことが町名の由来であると伝えられる。回船問屋でにぎわった町である。

 

 

 

永覚町(えいかくまち)

 

万治2年(1659)に開かれた町であると伝えられる。町名は、永覚坊という名の修験者が住んでいたと言われることに由来する。

 

 

 

上酒田町(かみさかたまち)・下酒田町(しもさかたまち)

 

慶長年間(1596〜1615)に庄内酒田(現在山形県酒田市)からの移住者により開かれた町であると伝えられる。江戸時代、上酒田町には、沖口出入り役所が設けられていた。

 

 

 

旭町(あさひまち)

 

慶応3年(1867)に開かれた町であり、それ以前は、御休所(藩主の休息所)があった。

 

 

 

本山町(もとやまちょう)

 

安政元年(1854)に海岸防衛のため士族を移住させ、開いた町である。それ以前は、回船問屋の山屋敷であり、この「山」が転じた町名と考えられる。

 

 

 

清水町(しみずまち)

 

町が開かれたのは慶応3年(1867)と伝えられる。弘化3年(1846)の絵図には、「御郡方湊町御年貢地」とある。

 

 

 

稲荷町(いなりまち)

 

町名は、稲荷神社が祀られていることに由来する。旧雄物川沿いに位置し、附船宿で賑わった。

 

 

 

古川町(ふるかわまち)

 

明治以降に開かれた町であり、町名は、砂の堆積により埋まった川(古川)があったことに由来する。

 

 

 

愛宕町(あたごまち)

 

享保19年(1734)に開かれた町であり、町名は、愛宕神社に由来する。

 

 

 

新柳町(しんやなぎまち)

 

古くは新地と呼ばれ、18世紀末〜19世紀はじめ頃に開発された町。町名もその頃に定められたと考えられる。

 

 

 

新城町(しんじょうまち)

 

町名は、中世に寺内にあった前城町・後城町の人々により開かれた町であることに由来する。

 

 

 

御蔵町(おくらまち)

 

佐竹藩の米蔵を中心に生まれた町であり、町名も御米蔵に由来する。

 

 

 

穀保町(こくぼちょう)

 

万治3年(1660)に開かれ、町名は、仙北地方の川下げ米に対応する蔵宿の町に由来し藩主より命名されたとも伝えられる。

 

 

 

幕洗川(まくあらいかわ)

 

土崎と寺内の境に位置する町。昔、川が流れ、坂上田村麻呂がその川で戦いで汚れた幕を洗ったという伝説を地名の由来とする。

 

 

 

将軍野(しょうぐんの)

 

現在も町名として用いられている。坂上田村麻呂将軍が陣をひいたとの伝承を地名の由来とする。

 

 

 

※参考資料 秋田市教育委員会発行「土崎神明社祭の曳山行事伝承活用テキスト」より